熱塩駅と硬券
たまたま通りかかった日中線記念館。
かつての日中線の終着熱塩駅が記念館といて保存されていました。
昭和の終わり、国鉄時代の終盤は、大量の赤字ローカル線が廃線となりました。
この頃、僕は小学生でしたが時々ニュースで流れる乗客満載のサヨナラ列車を不思議に見ていました。
どの路線も、元々は物資を輸送するための鉄道だったことは明確です。
人口の少ない場所で、2〜3時間に一本の運転。しかも終着までは数キロ・・・・。
バスを走らせた方が余程経済的なのは明確です。
それでも、鉄道が地域の顔として生きていた時代があったのだと、中の展示を見て思いました。
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