2009/06/23

外人ハウスで暮らした

完結していないのに最近さっぱり書いていませんが、
なぜかこのブログ「ビール文化研究所」で掲載していた
外人ハウス暮らし」というコンテンツが未だに人気があります。

「あれ、再開しないのか?」
という声も、何人もの人から頂きました。

そのうち再開します。

まだご覧になったことが無い方は、是非。(>>>「外人ハウス暮らし」

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2007/01/03

外人ハウス暮らし29〜移民の歴史は続いていた〜

半年くらい掲載していない「外人ハウス」シリーズですが、「終わったの?」という声もありましたので少しずつアップします。他のネタが尽きないもので・・・。

新規の訪問者の方に解説しますと、この話は僕がドイツ留学前に半年フリーターみたいな事をしたときに住んでいた「外人ハウス」の話です。

____以下本文___
未だ、移民は続いている。

日本人の移民の歴史は長い。近代史においても約100年前から南米への移民が行われており、苦労に苦労を重ねながら確実にその国への貢献をし、今日でも多くの日系人が諸国に住んでいる。

実は移民は過去の話ではない。
今日でも移民を受け入れている国。日本国籍を捨て移民していく人もいるのだという事をユウイチさんから教わった。
ドミトリーに突然やって来たユウイチさんは、日本人であって日本人ではない。
金沢で生まれ育った彼は、数年前に移民としてオーストラリアに渡ったのだ。

移民といっても農業に従事するばかりではなく、普通のサラリーマンをしている人も多いのだということに驚いた。
僕からすれば、やはり「移民」と「農業」はほぼイコールだ。

彼の場合は移民としてオーストラリアへ移り住んだ後、外国資本の工場で働いていたという。
現地で知り合った日本人女性と結婚。彼女もやはり移民だったという。

彼女は現地の金融関係で働き、かなりの収入を得ていたという。
しかし、彼の方はなかなか良い収入が得られず、あげくの果てに工場が撤退し職を失った。

詳しいことは知らないが、彼は日本へ出稼ぎにやって来たということだ。
日本人が日本に出稼ぎというのも変だが、彼はオーストラリア人になったので、やはり出稼ぎという言葉が当てはまろう。

しかし、問題があった。
まず、入国の時日本のパスポートで入ったら「オーストラリアへの移民」というデータがあったらしく
「国籍の選択」を迫られたという。
もちろん「その現場で」と言うわけではないが、基本的に日本国は二重国籍を認めていない。

「パスポートを2冊持っていると便利だよ」
とユウイチさんは笑っていた。

ヨーロッパ人なんかでは、こういう人は結構見かけるが、純血日本人にもいるんだな、と妙に感心した。

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(今日のネタはビールとは関係ないけど・・・・)

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2006/08/26

外人ハウス暮らし28〜ビートルハウスの日本人会?〜

数人住んでいる日本人がたまたま顔を合わせた。
普段は挨拶もするし、一緒にテレビを観ていることもあるのでもちろん初対面ではない。全員が顔を合わせることが少ないのだ。

ちょうどみんな食事をしようとしていた所で、せっかくだから屋上で一緒に食べようか、と言うことになった。

その場でみんなの食材を持ち寄ってみると、見事にバリエーションが無い。みんなモヤシとキャベツと何故か魚肉ソーセージしか持っていないのだ。
理由は簡単。買っている店があの八百屋なのだ。今週のサービス品は魚肉ソーセージ5本一束。3束買うと2束おまけ。
僕は保存が効くこともあって買いだめしたのだが、みんな同じ事を考えていたようだ。

せっかくだから肉を喰おう、肉を。

ということで自転車を持っている僕とシゲキさんが、買い出しに行くことになった。行き先は二つ先の駅前商店街にある安い事で有名な肉屋だ。
毎日目玉商品があり、それに関しては100gで80円位。これにちょっと高めの肉を合わせ3kgを購入し帰還。

屋上に上がると見事なグッズで準備ができていた。
柄の取れたフライパンの下でゴーゴーと炎を出し続けているのは、名品ホエーブス。ジンバブエの宿でフランス人から20ドルで買ったものだという。
椅子は無いが、屋上の冷たいコンクリートの上に敷かれた毛布。4人が持ち寄った物なのに、よく見るとどれも航空会社のロゴが入っている。

住民は基本的に旅行経験豊富な人ばかりだ。ソロ用のキャンプ道具はどれも名品ばかりで、かつ使い込まれている。
一人ひとつは持っているコッヘルも、年季の入った物ばかり。中にはアフリカ縦断してきた物もあり迫力がある。

肉を食べビールを飲み、そして旅の話をする。

「こういう所で日本人同士でビールを飲みながら飯を食べていると、ナイロビの宿を思い出すよ」
「そうそう、宿のボーイにチップやって追加ビールを買いに行かせたり・・・」

アフリカ上陸を果たしていない僕にとっても、彼等のアフリカ話を聞きながらビールを飲むのは面白いことだった。

「コバヤシ君はどっちの方を回ったの?」
「いや、アフリカは行ったことないですよ」

「あ、そうなんだ。珍しいねぇ」

アフリカが良いところなのは知っているが、行ったことの無い僕は珍しいかどうかは疑問である。
ただ、この時一緒に飲んでいた7人のうち、5人は頷いていた。

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久々の外人ハウスです!

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2006/06/30

外人ハウス暮らし27〜近所の会社のサラリーマン〜

ビートルハウスから国道を挟んで正面に、某アウトドアブランドの倉庫があった。
ここでは、月に一度くらいの割合でセールを行っていた。文字通り在庫処分である。
僕はそこでライト・トレッキング・シューズを買い、ロビーで紐を通していた。
すると他の住人達が
「どこで買ったんだ?」
と盛んに聞いてくる。
前の倉庫セールの話をすると
「連れて行ってくれ」
というので、何人かを連れて行った。

彼等は安い靴やTシャツを気に入り、幾らかの買い物をした。

「お客さん、前の家に住んでいるんですか?」

ここに勤めている山本さんは、以前から外人達が出入りするこの建物に怪しい興味を持っていたらしく、
「あの、中を一度見せてもらえませんかね?」
と言ってきた。
「じゃ、勤務が終わったらどうぞ」
と言うと、7時頃ビールを抱えてやって来た。

「僕も学生の時はアジアを歩いていたのですよ。しかし就職してからはなかなかねぇ・・」
「いや〜、宿ではいつも旅の話をして盛り上がっていましたねぇ・・・・」
などと回想を始めた。

そんな時、ロビーの玄関が開き、大きなバックパックを背負ったドイツ人が入ってきた。
「成田から直接来た旅行者だよ」
「あ、ここは普通の宿なんですか! へぇ、定住者だけかと思っていましたよ」

それから何回か、山本さんは同僚を連れてやって来た。手みやげにビールを持ってくることが多く、ロビーにたむろしている輩とも顔なじみになったようだ。

しばらく顔を見ないと思ったら、ガレージセールをやっていたので、倉庫を覗く。
山本さんは居ないが、彼が連れてきた同僚に声を掛けると

「先月退社しました。旅に出るそうです」

しーらねっと。(以上実話)

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2006/05/27

外人ハウス暮らし26:アメリカ帰りのタカシさん

タカシさんは英語が上手かった。アメリカで長く働いていたようで、目を瞑って聞くと、そこにはまるでアメリカ人がいるようだ。
彼はアメリカ国内を転々としていたらしく、日本料理屋で皿洗いをしたり、語学学校で日本語を教えたりしてきたという。そして気が向くままに、風が吹くままに街を転々としていたということだ。
ビジネスマンという雰囲気ではなかったが、旅人という雰囲気でもない。しかし、何かの事情があって日本に帰国し、今こうしてビートルハウスで暮らしている。

タカシさんはフィリップという男と部屋をシェアして住んでいた。やはりこうする事によって部屋代が安くなることが一番のメリットだが、フィリップは彼のイビキの大きさに閉口していた事を知っている。

タカシさんとはよく台所で会った。ちょっと太り気味のためか、食事には結構気を遣っているらしく、八百屋で買ってきたキャベツとモヤシを炒めてはパンに挟んで食べていた。
炊飯器を使うタイミングが似ているのか、よくバッティングしたが、順番がどうこうと言うのは面倒なので一緒にご飯を炊くこともあった。

さて、タカシさんがたまに我々の部屋に泊まりに来た。
彼はフィリップがたまに彼女を連れてくることに閉口していたのだ。
はっきり言って泊まりに来られても困るのだ。なんせこちらは6畳に3人ゆえ、空きスペースは体一つ分しかない。そのスペースは通路という重要な役割を果たしているので、そこにタカシさんが寝ることになる。

タカシさんが寝ていると、それを知らずに真っ暗な部屋に入ってきたチャーリーは思いっきりタカシさんを踏みつけ、そして転倒する。そんな中でもタカシさんは何も無かったように寝続けるのだ。

そして夜が更けた頃、爆音が響き始める。
部屋を追い出されたタカシさんの気持ちもよく分かる。
フィリップの気持ちもよく分かる。

後々知ったことだが、フィリップは睡眠不足が続くと彼女が来ない日でも
「今日は彼女が来るから・・・・・」
とタカシさんに伝えていたこともあったという。

ひとりグッスリと眠るために。


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2006/05/16

外人ハウス暮らし26:同居人Fromリバプール

4人部屋から3人部屋に昇格した僕であったが、ひとつ欠点があった。
今までの部屋は台所の前だったため、食器(というかコッヘル・・)を持っていくのが苦にならなかった。
しかし、3階からは毎度毎度持ってこなければならなかった。
そのまま置いておく事も考えたが、そうすると「共有」になってしまう。これは避けたい。

しかし、3人部屋は気楽だ。何と言っても一緒に住んでいる人が固定されているという安心感がある。ドミトリーだとそのメンツは日替わり。

出会って十数分後に一緒の部屋に住むことになったイギリス人のチャーリーは、リバプール出身でおそらく年齢的には30前後だろう。
ちょっと赤毛が混じったアングロサクソンで、イギリス人らしくカリマーのバックパックを背負ってやって来た。
トルコ、イラン、パキスタン、インド、タイと旅をしてきて、香港滞在中に
「日本に行けば英会話講師の職がある」
との情報を手に入れ、3ヶ月オープンの航空券でやって来た。
観光ピザでの入国の最低条件である3ヶ月後のチケットを持ってはいるものの、仕事が見つかってしまえば捨ててしまえ、という考えだ。
僕に
「どうやったら英会話の講師になれるのか」
と聞いてくるので
「夜ロビーで、英語講師になりたい!と3回叫べば見つかるよ」
と答えておいた。
実はこの冗談のような回答、それほど間違えではない。
ビートルハウスには何人もの英会話講師、または英会話講師の振りをした旅人がいる。どこの英会話学校も人手不足らしく、常に学校から「誰か友達を連れてこい」と言われているらしい。
(注意:そんな学校ばかりではありません。ご承知ください。)
翌日、僕が帰ってくるとチャーリーは
「ありがとう。明日から働くことになった。」
と礼を言ってきた。

欧米系で英語を話す白人は、やはり職が見つかるらしい。


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2006/05/04

外人ハウス暮らし25:引っ越し??

荷物を持って僕は階段を登る。
そして3階の2番目の個室へ荷物を放りこんだ。

引越しといってもどこか違う場所に住むわけではなく、部屋を替わったのだ。
ドミトリー暮らしはもともと安さにつられて行ったのであるが、さらに安く住む方法を発見した。

ビートルハウスの2階部分以上には、個室がずらりと並んでいる。
この個室は「ひとりで住む」場合と二人以上で住む場合とパターンがあるのだ。
標準的な六畳の個室に一人で住む場合は5万円、2人だと6万円、3人だと7万円と決まっていた。そう、これを割り勘すれば4人ドミトリーよりも安く住むことができるのだ。
ちょうど空き部屋ができたとき、4人ドミトリーに住み着き始めた関西人のヤマモトさんと話をし、2人で個室に移ろうと考えた。
しかし、2人で住めば6万円割る2で1人3万円。これではドミトリーと同じ金額なので意味がない。よってもうひとり探そうということになった。

もうひとり集めれば7万円を3分割し、一人2万3千円ほどになる。これは安い。自炊している僕にとって、差額の7千円はまさに「生活を支える」金になる。

そんなことを話していると、ドミトリーのドアが空いた。
今日日本に到着し、成田から直接ビートルハウスにやってきたイギリス人、チャーリーとの出会いであった。
チャーリーは日本に到着して2時間後に、いきなり同居の話を切り出されて面食らっていたが、しばらく考えた後、
「少しでも安いほうがいいからね」
と首を縦に振った。

6畳の部屋に3人がどのようにして住むのか。
この部屋には2段ベットがひとつ、そして窓際にマットレスが一枚ひいてある。
これで一応3人分の「寝床」ができた。
そして、ベットの下に衣装ケースが3個。これがわれわれのロッカー代わりだ。
これで部屋は満杯。しかし、これにヤマモトさんがラジカセとテレビデオを持ち込んだので、完全にスペースがなくなった。
よって、ドミトリー暮らしから脱出しても我々は結局ロビーに居続けることになった。

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2006/04/27

外人ハウス暮らし24:ドミトリーを出る

ビートルハウスのドミトリーを出る時が来た。
狭いけどなかなか楽しかったドミトリー生活。
夜中に突然大きなリュックを背負って現れる旅行者、そして24時間もしないうちに出て行く旅行者を見ているだけで、僕は何だか旅をしている気分になった。
電話がウルサイ。ドアの前の台所がウルサイ。国道がウルサイ。不平不満はいろいろあるが、やはり・・・・不平不満だらけのドミトリーともこれでお別れだ。

一番最初に住み始めた時のメンバーはもういない。オリジナルメンバーは最初の3日だけだった。

一期一会

ドミトリー生活はまさにこの言葉の通り、出会いと別れ、人間模様の交差点であったといえよう。

荷物をまとめる。
ドミトリー生活なのに、知らず知らずのうちに荷物は増えており八百屋から貰ってきた段ボールが2つ一杯になった。
まぁ中身はみんな本であるけれども。
ドミトリー生活者にカギはない。
荷物を手に出て行くだけである。

さらば、ドミトリー!

(終わりじゃないよ)


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2006/04/08

外人ハウス暮らし23:西郷どんと路上画家

マモルとは学生時代からよく遊んだ中だ。
都内で働く彼は自分では敢えてどこにも行かないくせに、誰かにどこかに連れ出されるのが大好きという困ったヤツだ。
反対に僕は暇さえあれば、いやなくてもあちこちをフラフラしていたので、たまに彼を誘ってやった。
たまにマモルの方から誘ってくる事もあるが、大体そういうときは超メジャー修学旅行コースであることが多い。

「おい、西郷さんの銅像ってどこにあるんだ?」

その日も彼はそう誘ってきたので出かけることにした。
お互い田舎者だから、こういう所へ行きたいのだ。

西郷像のある上野公園までは電車で出かけた。出不精のマモルは山手線自体あまり乗ることがなく、
「これってどこ行き?」
などととぼけた事を真顔で、それも大きな声で僕に聞いてくる。それも車内で。

上野に着き、京成横の階段を登って上野公園へ向かう。

イラン人の集団がなぜか階段で食事をしていたり、絵描きがキャンバスを拡げ似顔絵などを描いている異空間に、マモルはちょっとビビッていたようだ。
その時、ボサボサの長髪で髭面の外人が声を掛けてきた。

なんだ、アルフレッドじゃないか。

彼はオランダからやってきた旅人で、絵が趣味・・・というより売れない画家らしく、大きなリュックに油絵道具を詰め込み数日前から同じドミトリーに住んでいる。初めて見たときは「岬君の父親」かと思った。
階段を利用して彼の作品が何点か飾ってある。
似顔絵ばかりなのだが、どちらかというとコミック調に描く画風のようで、嫌みが無い。なかなか良い作品だ。

いつも朝早く荷物を抱えて出て行くので何処に行っているのかと思っていたら、上野公園に来ていたのだ。
なぜこの公園なのかというと、
「成田から京成でやって来て電車を降りたら絵描きがたくさん居た」
という事らしい。確かに間違いはない。実にシンプルな発想だ。

僕等の目的は西郷どんなので、またな、とその場を離れた。

あれ、マモルの口が開いている。
「彼は知り合い?」
と聞いてくるので
「あぁ、同じ部屋に住んでる」
と言うと、ちょっと声を大きくこう言った。

「おまえは一体どんな所に住んでいるんだ???」

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2006/04/03

外人ハウス暮らし22:道端のアクセサリー売り

友人のマモルと池袋の街を歩いていたら、後ろから声がした。
振り返ると、道端でアクセサリーを売っているイスラエル人が僕の方に手を振っている。
ドレッドロックヘアに鼻ピアス・・・。

なんだ、アヤじゃないか。

アヤとは日本人のような名前であるが、イスラエル人にも多い女性の名前だ。(とフランス人が言っていた)

彼女もビートルハウスの住人である。世界一周旅行の途中で、観光ビザで滞在できる3ヶ月間を東京で過ごし、アクセサリーなどを売って旅費を稼いでいる。

バックパッカーの世界では、イスラエル人が結構多い。彼等は兵役の後、退役金と休暇を使い世界中を旅しているのだ。
国民は男女の区別なく兵役が義務付けられているため、アヤのような女性も多くいる。
あまり詳しくは知らないが、日本には彼等のような旅行者にアクセサリー類を卸し、時には商売道具一式を貸し出すような「元締め」がいるらしく、池袋をはじめ東京の繁華街で営業をしている外国人のアクセサリー売りのほとんどがイスラエル人だ。

僕はマモルに
「彼女へのお土産に、一個どうだ?」
と言い横を見ると、彼はポカンと口を開けているではないか。

「あ、あぁ、いらんいらん」

アヤのパートナーであるパトリックも近くで商売をしていたらしく、こっちに寄ってきた。
三人で立ち話をし、それじゃ、と別れた。

「あれ、誰?」
とマモルが不思議そうに質問してきた。
「あぁ、一緒の所に住んでいる奴らだよ」
と僕が返答すると、なんだか混乱してきたらしい。

ちょっと声を大きくこう言った。

「おまえは一体どんな所に住んでいるんだ???」

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2006/03/29

外人ハウス暮らし21:パスポートチェック

住んでいる場所柄か、僕はパスポートや保険証といった書類を常に持ち歩いていた。外出するときはもちろん、ドミトリーで寝る時や、シャワールームまでに貴重品を持ち込むのだ。
この二人はパスポート強盗かもしれないという不安があったが、こういう時は抵抗することなく渡した方が賢明である。

半分寝惚けながら、僕はごそごそと布団の中を探り、貴重品入れからパスポートを出した。
裏世界では高額で取引されているという赤い表紙のパスポートを見ると、男の口から意外な言葉が飛び出した。


「あれ、日本人??」

その通り、こっちは正真正銘の日本人だ。菊の紋章入りのパスポートを見せながら、この一言で目が覚めた。

彼等は身分証明書のような物を取り出し、僕に見せた。
そう、彼等は不法入国者やビザが切れた不法滞在者を取り締まる入国管理局の職員だったのである。

彼等の説明によると、ビートルハウスに限らず、外人ハウスには不法滞在者がよく潜んでおり、定期的に巡視しているということだ。
実を言うと、どう考えても滞在期間が長すぎる住民がいないこともないが、密告なんてケチな事はしたくはないので、
「ああ、そうですか。大変ですねぇ。へぇー」
なんて相づちを打っていた。

「寝ているところゴメンね」
と詫びるような一言も無く、ドアを閉めながら一言置いていった。

「あんた、こんな所に住んでちゃだめだよ」


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2006/03/25

外人ハウス暮らし20:日本のパスポートのお値段(?)

郵便局の夜勤明けで朝10時頃からカーテンを閉めて就寝していた。相変わらず騒音はひどいが、人間の体というものは慣れてくるもので、2ヶ月以上も住み続けると車の騒音程度ならば安眠できるようになる。
ただし、ドミトリーの空きベットには毎日だれかがやって来るので、そいつがイビキかきだったりすると眠れない。それも慣れが来るはずだが、不定期にやってくる被害なのでバツが悪い。

その日は不意打ちというか、誰かが僕の肩を揺すって起こそうとしている。熟睡中だったが、遠くに人の声が聞こえるではないか。
日本語ではない。
「ハロー!ハロー!」
と言っている。

聞き慣れない声。サニーは家賃の集金の時、寝ている人も叩き起こすという非常に迷惑なヤツだが、確か先週に支払ったはずだ。熟睡しながら意識は何となく外の世界に通じ、なぜか冷静に考えていた。

一体だれなんだ?

「ハロー!ハロー!」
という声がハッキリと聞こえ、僕はやっと目が覚めた。

目の前には鋭い目つきの男が二人立っており、口を開いた。

「パスポートプリーズ!」

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2006/03/21

外人ハウス暮らし:ピンク電話の消音機能

僕の部屋は玄関代わりになっている勝手口と台所の直ぐ前のドミトリーだったが、もうひとつとんでもないものの前にあった。

電話である。

学生時代の終わり頃から携帯電話やPHSがだいぶ安くなり、みんなが持ち始めたが、まだ今日のように普及していない頃である。大学を卒業し、ここに住むようになってからPHSを購入したのは、ここでの生活では共同電話しかないからだ。PHSがあれば自分の連絡は困らないが、部屋の前の電話はいつでも鳴る。
誰かが出なければ鳴り続けるし、切れたとしても数分後には再度掛かってくるので、仕方がなく僕が居るときは出ざるをえない。
しかし、掛かってくる電話の98%は日本語ではない。一番多いのは英語であるが、フランス語の電話も結構多い。

「ハロー」
と電話に出ると
「ボンソワー ムッシュー。ジョン・クロード シルブプレ?」
なんて言っているのだ。

ジョン・クロードなんてヤツは知らないが、どこかに住んでいるのだろうから、発声部分を手で押さえて相手に聞こえないようにした後、大きな声で
「ジョン・クロード!!!テレフォン!!!」
と叫ぶ。

そうすると居る場合は
「ヘーイ」
と返事がくるので受話器をその場に置き部屋へ戻る。

居た場合は良いのだが、実際には不在の場合が多い。
いつ帰ってくるのかとか、メッセージを預かってくれとか、色々注文を付けてくるが、顔も知らないヤツのメッセージを預かる訳にもいかないので
「また電話してくれ。バイバイ」
とだけ日本語で言い、電話を切ることにしていた。

時差なんかも全く無視して夜中に電話が掛かってくることも多かった。
しかし、これに大してはロビーで遊んでいるアフリカンが出てくれていたので助かったが、彼等の友人であることが多く、お喋りを始めてしまい逆に騒がしくなってしまう。
そんなに国際長電話をして大丈夫かと心配もしてあげたが、聞くと横浜に住む友人だとさ。
ならばそんな夜中に電話なんかしてくるな!

アフリカンがいない時は、誰かがガチャリと受話器を上げ1秒で電話を切ってしまうか、受話器を上げっぱなしにしての「消音機能」を使った。

安眠は大事だ。

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2006/03/17

外人ハウス暮らし18:シャワールームとバスローブ

シャワールームはロビーのすぐ隣にある。
建物の構造から推測すると、独身寮時代はおそらく玄関脇にちょっとした自動販売機スペースがあり、この裏に風呂場があったと思われる。しかし、今はそのスペースもなくドアを開けるとそこはシャワールームだ。

サニー得意のDIYで作ったシャワールームは、風呂場の給排水設備を上手く利用した代物で、両サイドをホワイトボードで取り囲んだ個室シャワーとなっている。
しかし、これまた上手く取り付けた機械のおかげで、このシャワーはコインシャワーとなっている。100円で3分。
シャワーの時間は時間との闘いだ。

この闘いに挑みたくない者は、近所の銭湯に行くという選択肢もある。僕個人としては銭湯は大好きなのだが、いかせん料金が高すぎる。よってこのシャワーを利用することが自然と多くなってきた。

さて、問題はこのシャワールームが男女兼用であるということ。
2階以上の個室には何人かの女性も住んでおり、彼女たちがさすがに外人兼バックパッカーらしくアッケラカンなのだ。
ロビーでみんなでテレビをみていると、バスローブで現れる。そのまま通り過ぎて行ってくれればいいものの、シャワーが満員であるとそのままテレビを一緒に観るのだ。
ついつい面白い番組だとそのままの格好で見入ったりしているのも非常に困る。

シャワーを一切使わない男達もいた。
6人ドミトリーはカメルーン人に占拠されていたのだが、彼等はみな台所で行水をしていた。海パン姿でマッチョマンが行水している姿はちょっとアブナイが、彼等にとってコインシャワーという物は、納得のいく出費ではないということだ。

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2006/03/14

外人ハウス暮らし17:凄い八百屋さん

商店街から少し離れた所にある小さな八百屋は、ビートルハウスの住民にとって非常に重要な店であった。
安い。とくかく安かった。
レトルトカレーやインスタントラーメンも安かったが、野菜類も日替わりでいろいろ安くなり、僕もかなり助かった。
普通、モヤシなんかは30〜50円くらいだが、ここでは2袋で50円くらいであったから、僕は一週間でモヤシ炒めを4日くらい食べていたと思う。

実を言うと、ビートルハウスに限らず、有色人種の外人に対する日本の差別はある。
国がそうなのだから、街の小さな商店にだって無い訳がない。
店に入るとあからさまに嫌な顔をされたり、「入店お断り」の店も残念ながらあった。

この八百屋のオヤジさんの凄い所は、ビートルハウスの住民を大切にしてくれた事だ。
アフリカから一人出てきて、極東の雑踏の中で暮らしているヤツが買い物に来れば声をかけ、
「これも持っていきな!」
なんてシーチキン缶を渡したりしていた。
また、僕の同居人が置いていった「アフリカに毛布を送る運動」のポスターを店の中に貼り、募金活動にも積極的に参加してくれていた。

駅からの道沿いにあるので、必然的に皆その八百屋に寄るようになった。
オヤジさんは日本語しか喋れない。しかしビートルハウスの住民達に慕われ、頼りにされていた。
休暇で一時カナダに帰っていたボブは、成田からの電車を降りビートルハウスに帰ってくる途中、オヤジさんにお土産を置いてきたそうだ。

安いモヤシは住民の間では大人気で、買いだめしてくるものの、モヤシが足が速い。
よって冷蔵庫の中には変色したモヤシが大量に残っており、サニーはいつもブツブツと文句を言っていた。

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2006/03/10

外人ハウス暮らし16:時代の最先端

ビートルハウスにおける家具の充実ぶりは凄かった。
ロビーにあるのは29インチのテレビだし、2階以上の個室にもほぼすべてテレビが設置されている。
台所には電子レンジが2台。その他に電気ポットやなぜかタコヤキ器まである。

ドミトリーのベットは2段ベットで、182cmの僕はちょっと窮屈だが何とか足を伸ばして寝ることが出来る。そして前述のようにカラーボックスや机が置いてある。

これらの道具や家具。実は全て拾い物なのだ。
サニーはなかなかマメな男で、あちこちのゴミ置き場を徘徊してはあれこれと拾ってくる。
置いてある場所はゴミ置き場であるが、これらはゴミでないのだ。
しっかり作動するし、家具だってどこも壊れていないどころかほとんど新品のような物もある。

テレビやビデオのリモコンが無い事は多いが、これは故障とは言わない。テレビを観るだけならリモコンがなくたって別に困らないじゃないか。複雑な操作なんてどうせ誰もやらないので、これはこれで必要充分な機能を持っているのだ。

「ちょっと今時間ある?」
どこかで何かを見つけた時、サニーはロビーに居る連中に声をかける。
一人では重いテレビや家具をみんなで運んでくるのだ。
国道の歩道を多種多様な人種が、家具を運んでいる姿は実に奇妙であるが、リサイクルという最先端の行為なのだ。

ちょっと探せばあらゆる電化製品が道に落ちているなんて、一体ニホンって国は何だ???
サニーのケチも捨てたもんではない。

ただ以上のことから推測すると、ベットに置いてある布団も拾い物である可能性が高い。
なにせサニーはケチだから。

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2006/03/07

外人ハウス暮らし15:日本人は不要??

実は、住民の他に日本人がいる。

2階以上の個室に住んでいる白人系欧米人のうち、特に英語圏の者のほとんどは英会話学校の講師である。
彼等は一週間に4〜6日英会話学校で働き、なかなか良い収入を得ていた。学校の規定なのか、カジュアル系のスーツ姿で出かけていく。
彼等のほとんどはマジメに働いていたが、部屋にはスーツの他には大きなリュックサックが置いてあるだけで、頭の中では未だにインドのプーリーやタイのコ・パンガンの風が吹き抜けているようなヤツも少なからず居た。
その表情からは、「金を貯めたら旅を続けるぞ」という決意が感じられる。

(作者注:話の展開上彼等にスポットを当てますが、マジメな講師もたくさん居ましたので、誤解のないようにお願いします)

さて、そんな決意がある彼等であるが、しばらく日本にいると彼女が出来るのだ。
それは自分の生徒である場合もあるし、毎週のように繰り出す六本木のクラブで知り合った人の場合もある。なかには昨夜あったばかりなんてことも「多かれ少なかれ」ではなく、「多かれ多かれ」あった。
(外人の六本木好きは有名だったが、やはり住民のみんなも大好きだった)

彼女達は週末に遊びに来たり、なかにはそのまま住み着いてしまう場合もあったのだ。
突然人が出て行ったり入ってきたりするのは、日常茶飯事なので別に驚かないが、その人が住民なのか、それとも誰かの彼女なのかは何となく判った。

共同の玄関、台所、ロビーがあるのだから嫌でも顔を合わせることになる。
会えば当然挨拶をするのは古今東西どこでも同じ文化であるので、僕も彼女達をみれば普通に挨拶をする。ほとんどの人は普通に挨拶をしてくれ、
「なんでこんな所に住んでいるのですか?」
などと、あなたの彼も住んでいるではないか、とツッコミを入れたくなる様な事を聞いてくるのだが、結構面白い方が多く、ロビーでのチャンネル争いに参加してくれ、強力な武器(人質?)になることもしばしば・・・・。

ただし、その中には全く返事をしない人もいた。

「あ、おはようございます」
と挨拶をしても、目も合わさずに無視していったり、ちょっとだけ会釈をして行くだけ。
まぁ、人それぞれの性格もあるし仕方がないことかと思っていたが、
英語圏の人に
「Good Morning!」
と挨拶をされると、何だか別人のように明るい顔で流暢な英語を大きな声で話しているではないか。

住民である彼氏が、彼女に僕を紹介すると、やはりチラリとこちらを見て
「ども」
と呟くだけである。

他の日本人住民のほとんどが、同じような態度をよく取られていた。
彼女達にとって、英会話の練習にならない僕等日本人は眼中にない、ということか。
ちなみに、片言英語のイタリア人に声を掛けられても、明るく反応していたのは不思議。

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2006/03/04

外人ハウス暮らし14:日本人住民

ビートルハウスには日本人の住民も何人かいた。僕以外の住民は実に個性的で変な人生を送っていた。
ほとんどの人はどこか遠い国で外人バックパッカーからビートルハウスの存在を知らされた、という事実は面白い。そっか、僕もここの存在をしったのはタイのサムイ島であったっけ。
僕のように学生の休みを利用し1〜2ヶ月旅行する訳ではなく、2〜3年世界を放浪していたような人が多かった。

「旅費を貯める」
これが彼等の目標である。ここで半年から1年住みつつ都内で働いて、その資金で2年ほど旅をしようと企んでいるのだ。よって、「国際交流を深めるために・・・」とか「英語の勉強になるから・・・」とか「外国人の友達を・・・」という考えでの入居者は皆無で、
「安い」
その事が気に入って入居していた。
仕事も様々で、中には正社員として普通の生活のサラリーマンと変わらない生活をし始めた元バックパッカーもいた。
朝の光景は異様である。仕事から帰ってきてシャワーを浴びたアフリカ系の男がタオル一丁でいる横で、今朝成田から着いたばかりの大きなリュックを背負ったカナダ人がチェックインの手続きをしている横を、ビシッとスーツを着た普通のサラリーマンが朝食のパンを食べながら新聞を読んでいるのだ。

皆一人で海外をフラフラしていたので、そこそこの英語は話せる。しかし、ここは日本であるがゆえ、必要以上に英語を使わない姿勢は非常に良い。
皆が共通の認識として持っていたのは、
「海外のゲストハウスで英語を使っていたけど、何で日本のゲストハウスでも英語を強要されなきゃいかんのだ」
という偏屈じじいの様な考えであった。
ただし数からいえば日本語が分からない住民がほとんどなので、この考えを実施するには大きな大きな壁があり、我々は最終的に敗北し、祖国で敵国語を使わなければならないという状況になっていった。

我々の対抗策といえば、副音声の無いお笑い番組を、日本人だけで大笑いしながら観ることくらいであった。
ただし、あまり長い時間観ているとチャンネル戦争が再発することになる。

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2006/03/01

外人ハウス暮らし13:僕の自転車

僕は何をやっていたかというと、ただフラフラゴロゴロとドミトリーに埋もれ、図書館で読書三昧の生活をしていた訳ではない。それは僕の理想であるが、そうはいかないのが現実だ。
僕がこの半年間にしなければいけない事は、金を貯める事とドイツ語の勉強をする事である。
バイトは大学の先生に紹介された「まちづくりプランナー」の事務所と、某中央郵便局の夜勤だ。その後、勉強机を求めて入った某ファーストフード店(学生時代に他の店舗でバイトをしていたのだ)の社員が、昔のバイト仲間で、そのまま働かされた。
バイトを三つ掛け持つというのは結構忙しく、その合間にドイツ語学校へ通っていた。
まぁ、ドイツ語学校は週に3回ほど行くだけで、基礎コースを少し進めておこう程度の事なので、優先順位は低い。

バイトは新宿区の学生街近くと渋谷区のちょっと離れた場所にあった。さらにドイツ語学校は赤坂にあり、僕の住んでいる所からは結構な距離がある。
この行動範囲はほぼ三角形になるが、ここを自転車で移動していた。

自転車は卒業時に友人が置いていくからと言って貰ったもので、都内を走るためにロード仕様にしたマウンテンバイクだ。これに夜間走行のためのライトを付け、雨でも走れるように泥よけも装備された物だ。

赤坂まで、最初の何日かは電車で通学した。ビートルハウスから徒歩20分ほどの道のりを歩き某私鉄で数駅走る。そこで地下鉄に乗り換え、さらに地下鉄を乗り継いで赤坂着。そこからさらに15分ほど歩き教室に到着した。
しかし、自転車で行ってみると時間は変わらないどころか早いのだ。そして何と言ってもタダである。

「まちづくり」を専攻していた僕にとって、この自転車移動は様々な問題に直面する機会でもあった。
自転車と歩道の兼用の問題。駐輪場の問題。歩道橋と横断歩道の問題。
これらの問題は、やはり実際に生活で使ってみなければわからない。

それともう一つ発見したのは、ビートルハウス内でのセキュリティーの問題。

僕のキーチェーンのロックナンバーは、なぜかみんなが知っており、共用物になってしまった。

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2006/02/26

外人ハウス暮らし12:難民

外人ハウスの有色人種で、日本に馴染み、楽しく生きている者は一握りだろう。
僕が住み始めた当初から一緒の部屋にいたアフリカ人は「難民」であった。
難民なんてニュースの世界でしか知らなかったが、実際に僕のベットのすぐ下で寝ているのは、日本政府に「難民」としての認定を受けたひとりのアフリカ人なのだ。
彼は敬虔なクリスチャンで、パリッとしたシャツを着てスラックスを履き、そして古いながらもよく磨かれた革靴を履いていた。仕事がないらしく毎日ベットの中で毛布にくるまっていることが多かったが、「アフリカに毛布を送ろう」という日本語のパンフレットを何百枚も持っており、それを住人だけでなく近所の商店にも配って歩いていた。
かなりのホームシックを患っており、夜中シクシクと鳴き声が聞こえてくることもあった。

国は難民であっても仕事の斡旋をしてくれる訳ではない。
身よりの無いように思えた彼は、2週間ほど僕の部屋にいて
「九州で働く」
と言って出て行った。
日本語も話せない彼が、九州でどんな仕事をするのか知らないが、こうしてドミトリーの客は流れていく。

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2006/02/25

外人ハウス暮らし:語学学校不要論??

ビートルハウスの住民は大きく二つに分けられる。
「定住者」と「旅行者」だ。
旅行者の場合、成田からやって来て何日か滞在し、どこかへ消えていく。しかし、中には旅行のついてに日本で仕事を見つけてしまえ、という考えの者もいるにはいる。そして見事に、かつ簡単に仕事をゲットして「定住者」となってしまうのが、国旗に星を50個も付けた国の方々だ。
世は海外旅行ブーム。巷に溢れる英会話学校は「ネイティブ・スピーカー」を探しており、その事情が彼等の要求に合致していたのだ。公立学校の英語助手をやっている者もいたが、学校側が用意したアパートやホームステイに馴染めず、外人ハウス暮らしをしている者もいた。

以上は欧米系「白人」の場合の話。これが有色人種だとちょっと事情が異なる。
アフリカ系の住民がが何人かいたが、彼等の仕事はいわゆる3Kと言われる仕事で、工事現場や清掃工場で働いていた。
実際に彼等が働いている現場は何度も目撃した。また、繁華街でティッシュを配ったり、サンドイッチマンになって通りを歩いたりしている。
「大変だね」
と台所で行水をしている男に声をかけると、
「仕事があることは素晴らしいことだね」
と流暢な日本語で答えてきた。
日本語学校にも行ったことのない、来日1年のアフリカ人とは思えない流暢さである。
「どこで覚えたんだ、その日本語?」
と聞くと
「工事現場のオジサン達が毎日教えてくれたんだよ。」
という。

ここに「語学学校不要論」が生まれた。

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2006/02/23

外人ハウス暮らし10:チャンネル戦争

ドミトリーには何もない。あるのはベットと机と4人分のカラーボックスである。
よって僕は寝るときと勉強する時(ドイツ語の宿題があったのだ)以外はロビーにいた。
ロビーにはテレビがあり、ソファーがあり、それなりに一般的な空間があった。ただ違うのは、そこにあるテレビの音声は「副」に切り替えられていて、ソファーにはちょっと穴が空いていて、たむろしている者の国籍と人種が様々だったということである。
テレビは大型の29インチ。ステレオスピーカーがついており、一応BSも見れた。(視聴料を払っていたがどうかは不明・・未払いだろうな、きっと)
英字新聞をこまめにチェックしているサニーが週に何回か映画プログラムを壁に貼りだし、「ビートルハウス・シアター」などと呼んでいた。
シアターの時間になると個室の者もロビーに降りてきて、みんなで映画を楽しむ。
みんなで観るとおもしろい。ヒーローが悪と戦う時には、観客総立ちになり
「Go!Go!」
などと叫び、倒した瞬間に拍手喝采が起き、なぜか隣にいる奴と握手なんかしている。
反対にシリアスな映画の時は、終わった後にしんみりと国に置いてきた家族の話なんかをしている。

サッカー中継の際は、チャンネルの取り合いになった。
アフリカ系、ヨーロッパ系、および僕はサッカーが観たい。
しかし、北アメリカ系、オセアニア系は「サッカーって何???」という人達だったので、
「映画のビデオを観よう」
と勝手にチャンネルを変えてビデオを流し始めるのだ。

こんな事をしてみんなでワイワイと揉めていると出てくるのがサニーである。
アメリカ人であるサニーはやはり「サッカーって何??」だったので、北アメリカ・オセアニア連合に荷担する訳であるが、一応世界のサッカーを立ててくれ、
「こっちで映画をみましょう」
と自分の部屋をシアターとして解放するのであった。

管理人室を兼ねているサニーの部屋の前には「ライブラリー」がある。
英語版のガイドブックは日本編以外にもたくさんあり、旅行者が熱心に読んではメモを取っている。
メモは取るヤツはまともなヤツで、中にはページをビリっと破いて持っていく輩もいた。
他にも「News Week」などの英語雑誌も置いてある。しっかりと管理ラベルが貼っているとは、いい加減なサニーとは思えない。

よくみると「区立図書館」と書いてある。


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2006/02/22

外人ハウス暮らし9:それぞれの自炊

生活を始めてみると、僕の部屋はラグジュアリーな4人ドミトリーの割に騒音がうるさいということが判明した。
国道である。
ビートルハウスは4車線国道に面しており、一日中車がひっきりなしに通っている。昼間の騒音はそれほど気にならないものの、夜間の騒音はもの凄いものであるが、住人の何人かは、「こんな夜遅くにも車が走っているなんて、これこそがトーキョーだ」と喜んでいる。
さらに月に何度かは、浜松が世界に誇る工業製品を誇大に、かつ法に抵触しながら装飾を仕上げた前後輪2本からなる自動車が隊列を形成しつつ、またなぜかリズミカルな音響を奏でつつ、かつ低速で走行していくため、僕のラグジュアリーなドミトリーは、その音波の犠牲になったのだ。
これを見て、住民の何人かは、「ディスコが走りながらやってくるとは、これこそがトーキョーだ」と喜んでいる。

さて、僕の部屋は台所の前にある。
生活時間がまちまちの外人ハウスの生活であるからして、やはり食事の時間はまちまちだ。
遅く帰ってくるとコンビニ弁当で済ませる、という事は、このビートルハウスの住民はあまりしない。
そりゃそうだ。コンビニ弁当は「高い」。大東京で生活する外人のとって、ただでさえ高い東京の物価である。外食やコンビニ弁当なんてとんでもない。
だから何でも良いからとにかく自炊をする。

食事の時間は楽しい。ゆえに、自炊の時間も楽しいらしい。好きな音楽をかけ、大きな声で歌いながらフライパンを振るう。
よほど美味く出来たのだろう。大きな声で
「デリシャス!!」
と叫ぶ輩もいる。

僕の部屋は台所の前にある。


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2006/02/21

外人ハウス暮らし8:住民登録???

外人ハウスとはいえ、一応住み着くわけだから住民票でも出しておこう、となぜか考えた。
歩いて20分ほどの距離にある区役所で、住民登録をする。
しかし、住所は判るのだが部屋番号が判らない。サニーに電話をすると
「ソンナモノ、シリマセン」
そっか、無いんだ。
じゃ、僕が付けてしまえ!ということで、「101」と言う部屋番号を記入欄に書き入れた。
「あぁ、ビートルハウスね」
「あなたあそこは止めた方がいいよ。いろいろ問題あるらしいから」
おお、さすがは区役所の職員。そこまで情報を掴んでいるとは。おそらくいろんな国の住民が、ここへ外国人登録をしにきているのだろう。
しかし、彼にそんな事を言われる筋合いは無い。
「そっすか」
と返事をして無事に住民登録完了。

いろいろと散策してみると、図書館があった。僕は図書館好きなので、あちこちの図書館で本を訪問しては読んできたが、やはり都内の図書館の充実ぶりはたいしたものだ。「読んできた」とはいうものの、訪問する楽しみが優先なので、それほど本を探していたわけではない。ただ、図書館によって本の品揃えに優劣があり、それを眺めながら
「中央図書館の割に、情けない揃えだな・・・」
などと一人評論しては楽しんでいた。(今思えばアブナイ奴だ)

概して23区内の図書館の充実ぶりはなかなかのモノである。
あたり前だが、これだけの人口を抱えているのだから、図書館くらいはこの位立派でないと税金泥棒と言われかねない。この図書館にも250円くらいでカレーが食べれるような食堂の存在も期待したが、さすがに無かった。あるのはコーヒーの自販機のみ。

外人が何人もいるではないか。さすが都内の図書館だ、国際的だ。彼等は英字新聞なんかを静かに読んでいる。
一応利用者カードを作っておこうかと思い、カウンターへ。先ほどの住所を書き入れたが、何も証明する物が無い。しかし、PHSの番号を本体に表示して、それを見せた後に書き入れたら何とか発行してくれた。

注意事項の説明を受け終わると、その司書らしきオバサンはポロリと口に出した。
「ビートルハウスって、ウチの本が溜まっていません?」

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2006/02/20

外人ハウス暮らし7:生活がはじまる

さて、どの部屋にするか?
この時点で「どちらのドミトリーにするか」ということだ。
実はビートルハウスの部屋のほとんどは個室だ。
二階以上は独身寮時代のままの風景で、ドアがずらりと並んでいる。基本的には6畳間らしく、そこそこの広さで一般的な生活が出来そうだ。
しかし、家賃もそれに見合うだけの金額だ。
個室は5万円。もちろん光熱費等は込みの値段であるが、3万円で寝られる空間があるのにそんな高額は払う気がない。よってあっさりとドミトリーに決めたのだが、ラグジュアリーな僕は6人部屋ではなく、4人部屋を選択した。6人部屋はもう3千円ほど安いのだが、やはり空間とプライバシーは大事だ。

結局4人部屋の奥のベットの上段を占拠し、僕は晴れて住人になったのだ。
本当なら下段にしたかったのだが、既に誰かがいるらしい。よってどちらかが出て行くまでしばし待つことにする。
台所の前なので冷蔵庫はあるし、トイレにも近い。
玄関化した勝手口の横なので、出入りも非常に落だ。これはこれでなかなか良いぞ。

部屋には昔の学習机っぽいテーブルが一つ。カラーボックスは4つある。それぞれカラーボックスを1個使って良いというので、さっそく荷物を入れる。
リュックから出した荷物は、2個入りのコッヘルとサバイバルナイフ、シェラカップ。
なんだかキャンプにでも行くような荷物であるが、これがあれば日常生活は困らないハズだ。
あと着替えを少々とドイツ語辞書などの勉強道具。
これらは盗まれることはないだろうが、やはり貴重品はマズイ。カラーボックスにも置かずにパスポート・運転免許証などは肌身離さず持ち続けることにした。
そんな事をしているだけで、何となくアジア諸国を歩いていた時と同じ気分になってきた。僕の生活は所持品だけで「旅空間」になってきたのだ。これはストレスが溜まらなくて良い。

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2006/02/19

外人ハウスくらし6:台所事情

ビートルハウスにおいて、唯一当初からの機能が保持されている所が台所である。しかし、もちろん食事担当のオバチャンなどいない。
そこには鍋釜一式が揃っており、自炊が可能。業務用の大型冷蔵庫もおいてあり、そこに各自の食材が名前を書かれた状態で置かれている。
大体、共同冷蔵庫というのは賞味期限きれというか、発酵して別の食材に変わっている食材の宝庫になっているのだが、ここビートルハウスでは管理人サニーが定期的に冷蔵庫の掃除をしているので、それほどの事はない。
賞味期限が切れた直後のヨーグルトを食べているサニーを何度か見かけたが、なるほど確かに所有権も切れているが味はそれほど変わらない。
なかなか頭が回るヤツだ。

食器棚はかなり充実している。何が充実しているかというとラーメン丼の量が充実しているのだ。
飯物、麺類、スープ類なんでも来いのラーメン丼は、世界の誰が使っても便利な食器らしい。自然とラーメン丼ばかりが集まってきたのだろう。
しかし、その丼の底には電話番号や屋号が入っているのが非常に気になった。全て周辺にあるラーメン屋の物だ。
サニーは言った。
「よく道端に置いてある。アパートの玄関の前にも捨ててある。ニホンハフシギナクニネ。」
食器棚の奥を見るとチャーハン皿や中華スープ皿など、ラーメン屋系の食器の充実には目を見張った。

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感想をお待ちしております。
週末のレスは遅めです。

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2006/02/18

外人ハウス暮らし5:ちょっと贅沢に??

ビートルハウスのガラス戸の玄関は実質開けっ放しで、いつも誰かがボーっとしている。ソファーを置いてボーっとしているので、それを股がないと入れない。
で、玄関の機能は歩道に面した非常階段の入口兼厨房の勝手口にあるのだ。厨房は厨房のままであるが、料理を手渡ししていたと思われるカウンターは木の板で塞がれ、向こう側は見えない。
向こう側というのは食堂だった所だ。
この食堂とロビーには扉があるのだが、それはまだ生きている。しかし、この食堂の真ん中には、立派な壁が造り付けられており、二分割されている。
16畳ほどの食堂は、見事に8畳の部屋2つに分割されているのだ。
風呂場に湯船は一応ある。しかし、それは湯船としての機能を果たしていない。
洗い場それぞれにシャワーが着いているが、そこには膝から頭ほどを覆う壁が作られており、個室シャワーになっている。湯船にも同じように個室が作られており、そこを使うには風呂の縁を股がなければならない。
個室シャワーにしてあるのはなかなかグッドなアイデアだ。だいたい風呂を残しておいた所で、外人達は入りはしないし、光熱費や掃除の問題もある。
シャワーなら合理的だしコストもかからない。タダかと思ったら料金箱が入口にあり、コインシャワーに改造してあるのだ。なかなかしっかりしているぞ、サニー。
ただし水シャワーならタダなので、夏は節約できそうだ。冬でも節約したい輩が、時々台所でお湯を湧かしては体を拭いているらしい。

さて、分割された食堂は何に使われているかというと、客室である。
この部屋に二段ベットがそれぞれ2個、3個と置かれている。4人ドミトリーと6人ドミトリーである。
部屋の大きさは同じだが人数が違う。これはドミトリーの差別化で、当然値段が違う。4人ドミトリーはより大きな空間と、より多いプライバシーを重視するラグジュアリーなドミトリーなのだ。

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2006/02/17

外人ハウス暮らし4:独身寮時代

ビートルハウスにやってきた。
話には聞いていたが、それほど汚くはない。
以前はどこかの会社の独身寮だったらしく、入口はしっかちとしたガラス戸で、受付らしきカウンターがある。
ロビーの横が食堂らしく、かつては独身者達が「おばちゃんオハヨー」などと言って朝飯を食べていたハズだ。
ロビーにあるドアは管理人室。ここに友人、というより「知人」のサニーは住んでおり、いや住み着いており管理人らしいことをしている。管理人の仕事というのは、予約の受付の他、玄関、トイレ、台所、廊下などの掃除、家賃の回収、ゴミ出しといった当たり前の物から、喧嘩の仲裁、旅の相談、家具集め(?)と何でもやる。

ロビーの隣には風呂場がある。独身寮かつ男子寮だったのだろう、大きな浴槽は一個しかなく、男湯も女湯もない。各階にあるトイレだって特に区別があるわけでもないので、やはりここは男子寮だったと考えるのが妥当だ。

屋上に至る階段にコイン式の洗濯機が2台。手すりが低くちょっと怖い屋上には物干し竿が並んでおり、色とりどりの洗濯物が並んでいた。国道沿いであるが、6階まで上がってくるとそれほど騒がしくなく、なかなか心地良い風を感じるほどだ。

このような光景が男子寮時代にはあったのだろう。

「あったのだろう」と過去形で書いているが、そう、ビートルハウスになってこの独身寮は少し変身した。
独身寮は、バックパッカーの知恵と合理性と貧乏性によって、生まれ変わったのだ。ゲストハウスとして。

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週末のレスは遅めです。

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2006/02/16

外人ハウスの暮らし3:込み込み千円/day

外人ハウスは旅行者の宿としてオープンしたが、実際にはそのほとんどは長期利用者で埋め尽くされている。僕が住んだゲストハウス「ビートルハウス」(仮名)も同様であった。
欧米系のバックパッカーのほぼ90%が持つ英語のガイドブック「ロンリープラネット・サバイバルキットシリーズ」の「JAPAN」にも掲載されていた時期もあったので、毎日のように誰かしらが成田から直接ここにやってくるのだ。
「ビートルハウス」は一泊2千円だった。しかし、1週間の連泊の場合は1万円で、2千円のお得である。
さらに、1ヶ月の場合は3万円である。これだと単純に考えて1泊千円!実に安い。
3万円くらいなら安アパートもあるが、ここの利点は「敷金礼金無し」「光熱費込み」であること。よってフラリと来て住み着くことも充分に可能なのだ。
まぁ、自分がそういう立場になるとは思ってもみなかったが。

以上安いことばかりを強調したが、この値段は個室の値段ではない。ドミトリーの値段である。
ドミトリーとは部屋の中に何個かのベットがあり、そこで「ベット」という個人スペースと僅かばかりのロッカーが与えられる。ベットにはカーテンもないのでプライバシーは一切無い。
アジアの安宿は個室が多いが、物価の高いヨーロッパでは安宿というとどうしてもドミトリーになってしまう。彼の地で一月ほどそういったドミトリーを渡り歩き、旅カラス的な生活をするのは結構楽しいが、今回は東京での生活である。
さて、どうする。
一回実家に引き返した後、荷をまとめて再び上京。ちなみにその時の荷物はインド旅行で使った赤い50Lのリュックサック一個だった。

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2006/02/15

外人ハウス暮らし:口コミと30秒

さて、僕はその外人ハウスに、たった半年間ではあるが住み着いていた。
それはちょっと時が経過してしまったが、1997年の春から秋にかけての約6ヶ月間であった。場所は都内のある場所で一応そこは23区内。
何でこんな所に住み着いたのかというと、ドイツに留学しようと企んでいたが、肝心な入学許可が下りずに宙ぶらりんになってしまったのだ。
普通、大卒者が留学する場合は申請だけで良いと思っていたので、某大学一校のみに申請書を送付し、そのまま留学という事を考えていた。しかし結果は「バツ」。
申請のみで構わないが、そこには外人用の語学クラスが無い、という事であった。
まぁ生活に困らない程度の英語でドイツの大学に電話をかけ、訳を教えてくれと言うと担当のおばさんは丁寧にゆっくりとした英語で教えてくれた。
そして最後に、
「語学クラスのある他の大学で、この程度の事はドイツ語で話せるようになってからいらっしゃい」
と嫌みなのか親切なのか判らない事を言って電話を切った。
そして大学を卒業。
同級生達が社会人として巣立っていくなか、一人宙ぶらりんの生活が始まったが、対外的には「留学準備中」という事でメンツは立つ。そして資金もハッキリ言って足りなかったので、バイト三昧の生活をして半年間金を貯めよう、と考えた。
(実際には週に何度かドイツ語学校へも通った)

そう、フリーター生活が始まったのだ。
フリーター生活をするにも住居がいる。僕は学生時代、横浜の南に住んでいたが、ここからドイツ語学校に通うのもちょっと辛い。よって都内に何とか住み着こうと考えたのだ。

そこでピンと浮かんだのが、2年ほど前にタイのサムイ島で出会った米国人の男、サニー(仮名)である。彼とは日本でも2〜3回飲んでいるので、付き合いはある。何故彼の顔が思い浮かんだというと、彼は「ゲストハウス」の管理人をしていたのだ。(・・・と聞いたことがある)
「ハローモシモシ」
「おお、サニーか?コバヤシだけど、久しぶり」
「オオ、コバヤシサン、ヒサシブリネ!」
「ゲストハウスの管理人って本当にやってるの?住めるかな?」
「ハイ、スメマスヨ。スキナトキニキテネ」
いかにも外人らしい日本語でサニーは電話に出て、ものの30秒で僕の新居が決まった。
当時はインターネットはそこそこ普及していたものの、みんながみんなPCを持っている時代でも無かったし、調べる際には「まずネットで」という時代でも無かった。
こうして「口コミ」という人間のコミュニケーションの元祖というべき手段で、僕はゲストハウスに住むことになった。

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2006/02/14

外人ハウス暮らし:そもそも外人ハウスって?

最近、外人ハウス暮らしが一部の人の間で流行っているらしい。
外人ハウスとはその名の通り、「外人の住んでいる家」であるが、別名というか俗称というか国際的な名称というか、「ゲストハウス」ということが多い。
ゲストハウスとは「旅行者の世界」ではそのまま「安宿」を指す。
「一般の世界」では、客人をもてなしたり泊めたりする施設や家の事を指すようだが、僕を含め、学生時代はほとんど旅に費やしていました、という人間にとっては、やはり一泊数百円で泊まれて、ロビーにはネスカフェの粉末コーヒーが置いてあって、どこかの旅行者が置いていった漫画雑誌があって、さらにどこかを旅して来た人が書き残していった「情報ノート」がある宿なのだ。
暇な旅行者はその情報ノートに書かれた情報を読みながら、「へぇ、あそこの国境って今空いてるんだ・・・」とか、行きもしないのにそれらの情報に反応しながらコーヒーを飲んでいる輩が多い。それも一日中。

さて、そんなゲストハウスが日本にも結構ある。特に都内に集中している。
そこは基本的に安く日本を旅したいと考えていた外国人(多くは米国人)が、日本の宿の高さに閉口し、自らの力で外国人(多くは米国人)が安く泊まれる宿を開業しているのが現実の話。よって、日本のガイドブックの英語版にその情報が多く乗っており、一般的には日本人の目に触れられることはない。

そんなゲストハウスだから、当然外人ばかりだ。
だから近所の人々はそのゲストハウスの事をこう呼んだ。
「外人ハウス」。

しかし、最近では「国際感覚が身に付く」「英語の勉強になる」ということで敢えて外人ハウスを選ぶ人もいるそうな・・・・。

つづく>>

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