2009/06/23

外人ハウスで暮らした

完結していないのに最近さっぱり書いていませんが、
なぜかこのブログ「ビール文化研究所」で掲載していた
外人ハウス暮らし」というコンテンツが未だに人気があります。

「あれ、再開しないのか?」
という声も、何人もの人から頂きました。

そのうち再開します。

まだご覧になったことが無い方は、是非。(>>>「外人ハウス暮らし」

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2007/01/03

外人ハウス暮らし29〜移民の歴史は続いていた〜

半年くらい掲載していない「外人ハウス」シリーズですが、「終わったの?」という声もありましたので少しずつアップします。他のネタが尽きないもので・・・。

新規の訪問者の方に解説しますと、この話は僕がドイツ留学前に半年フリーターみたいな事をしたときに住んでいた「外人ハウス」の話です。

____以下本文___
未だ、移民は続いている。

日本人の移民の歴史は長い。近代史においても約100年前から南米への移民が行われており、苦労に苦労を重ねながら確実にその国への貢献をし、今日でも多くの日系人が諸国に住んでいる。

実は移民は過去の話ではない。
今日でも移民を受け入れている国。日本国籍を捨て移民していく人もいるのだという事をユウイチさんから教わった。
ドミトリーに突然やって来たユウイチさんは、日本人であって日本人ではない。
金沢で生まれ育った彼は、数年前に移民としてオーストラリアに渡ったのだ。

移民といっても農業に従事するばかりではなく、普通のサラリーマンをしている人も多いのだということに驚いた。
僕からすれば、やはり「移民」と「農業」はほぼイコールだ。

彼の場合は移民としてオーストラリアへ移り住んだ後、外国資本の工場で働いていたという。
現地で知り合った日本人女性と結婚。彼女もやはり移民だったという。

彼女は現地の金融関係で働き、かなりの収入を得ていたという。
しかし、彼の方はなかなか良い収入が得られず、あげくの果てに工場が撤退し職を失った。

詳しいことは知らないが、彼は日本へ出稼ぎにやって来たということだ。
日本人が日本に出稼ぎというのも変だが、彼はオーストラリア人になったので、やはり出稼ぎという言葉が当てはまろう。

しかし、問題があった。
まず、入国の時日本のパスポートで入ったら「オーストラリアへの移民」というデータがあったらしく
「国籍の選択」を迫られたという。
もちろん「その現場で」と言うわけではないが、基本的に日本国は二重国籍を認めていない。

「パスポートを2冊持っていると便利だよ」
とユウイチさんは笑っていた。

ヨーロッパ人なんかでは、こういう人は結構見かけるが、純血日本人にもいるんだな、と妙に感心した。

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(今日のネタはビールとは関係ないけど・・・・)

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2006/08/26

外人ハウス暮らし28〜ビートルハウスの日本人会?〜

数人住んでいる日本人がたまたま顔を合わせた。
普段は挨拶もするし、一緒にテレビを観ていることもあるのでもちろん初対面ではない。全員が顔を合わせることが少ないのだ。

ちょうどみんな食事をしようとしていた所で、せっかくだから屋上で一緒に食べようか、と言うことになった。

その場でみんなの食材を持ち寄ってみると、見事にバリエーションが無い。みんなモヤシとキャベツと何故か魚肉ソーセージしか持っていないのだ。
理由は簡単。買っている店があの八百屋なのだ。今週のサービス品は魚肉ソーセージ5本一束。3束買うと2束おまけ。
僕は保存が効くこともあって買いだめしたのだが、みんな同じ事を考えていたようだ。

せっかくだから肉を喰おう、肉を。

ということで自転車を持っている僕とシゲキさんが、買い出しに行くことになった。行き先は二つ先の駅前商店街にある安い事で有名な肉屋だ。
毎日目玉商品があり、それに関しては100gで80円位。これにちょっと高めの肉を合わせ3kgを購入し帰還。

屋上に上がると見事なグッズで準備ができていた。
柄の取れたフライパンの下でゴーゴーと炎を出し続けているのは、名品ホエーブス。ジンバブエの宿でフランス人から20ドルで買ったものだという。
椅子は無いが、屋上の冷たいコンクリートの上に敷かれた毛布。4人が持ち寄った物なのに、よく見るとどれも航空会社のロゴが入っている。

住民は基本的に旅行経験豊富な人ばかりだ。ソロ用のキャンプ道具はどれも名品ばかりで、かつ使い込まれている。
一人ひとつは持っているコッヘルも、年季の入った物ばかり。中にはアフリカ縦断してきた物もあり迫力がある。

肉を食べビールを飲み、そして旅の話をする。

「こういう所で日本人同士でビールを飲みながら飯を食べていると、ナイロビの宿を思い出すよ」
「そうそう、宿のボーイにチップやって追加ビールを買いに行かせたり・・・」

アフリカ上陸を果たしていない僕にとっても、彼等のアフリカ話を聞きながらビールを飲むのは面白いことだった。

「コバヤシ君はどっちの方を回ったの?」
「いや、アフリカは行ったことないですよ」

「あ、そうなんだ。珍しいねぇ」

アフリカが良いところなのは知っているが、行ったことの無い僕は珍しいかどうかは疑問である。
ただ、この時一緒に飲んでいた7人のうち、5人は頷いていた。

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久々の外人ハウスです!

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2006/06/30

外人ハウス暮らし27〜近所の会社のサラリーマン〜

ビートルハウスから国道を挟んで正面に、某アウトドアブランドの倉庫があった。
ここでは、月に一度くらいの割合でセールを行っていた。文字通り在庫処分である。
僕はそこでライト・トレッキング・シューズを買い、ロビーで紐を通していた。
すると他の住人達が
「どこで買ったんだ?」
と盛んに聞いてくる。
前の倉庫セールの話をすると
「連れて行ってくれ」
というので、何人かを連れて行った。

彼等は安い靴やTシャツを気に入り、幾らかの買い物をした。

「お客さん、前の家に住んでいるんですか?」

ここに勤めている山本さんは、以前から外人達が出入りするこの建物に怪しい興味を持っていたらしく、
「あの、中を一度見せてもらえませんかね?」
と言ってきた。
「じゃ、勤務が終わったらどうぞ」
と言うと、7時頃ビールを抱えてやって来た。

「僕も学生の時はアジアを歩いていたのですよ。しかし就職してからはなかなかねぇ・・」
「いや〜、宿ではいつも旅の話をして盛り上がっていましたねぇ・・・・」
などと回想を始めた。

そんな時、ロビーの玄関が開き、大きなバックパックを背負ったドイツ人が入ってきた。
「成田から直接来た旅行者だよ」
「あ、ここは普通の宿なんですか! へぇ、定住者だけかと思っていましたよ」

それから何回か、山本さんは同僚を連れてやって来た。手みやげにビールを持ってくることが多く、ロビーにたむろしている輩とも顔なじみになったようだ。

しばらく顔を見ないと思ったら、ガレージセールをやっていたので、倉庫を覗く。
山本さんは居ないが、彼が連れてきた同僚に声を掛けると

「先月退社しました。旅に出るそうです」

しーらねっと。(以上実話)

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2006/05/27

外人ハウス暮らし26:アメリカ帰りのタカシさん

タカシさんは英語が上手かった。アメリカで長く働いていたようで、目を瞑って聞くと、そこにはまるでアメリカ人がいるようだ。
彼はアメリカ国内を転々としていたらしく、日本料理屋で皿洗いをしたり、語学学校で日本語を教えたりしてきたという。そして気が向くままに、風が吹くままに街を転々としていたということだ。
ビジネスマンという雰囲気ではなかったが、旅人という雰囲気でもない。しかし、何かの事情があって日本に帰国し、今こうしてビートルハウスで暮らしている。

タカシさんはフィリップという男と部屋をシェアして住んでいた。やはりこうする事によって部屋代が安くなることが一番のメリットだが、フィリップは彼のイビキの大きさに閉口していた事を知っている。

タカシさんとはよく台所で会った。ちょっと太り気味のためか、食事には結構気を遣っているらしく、八百屋で買ってきたキャベツとモヤシを炒めてはパンに挟んで食べていた。
炊飯器を使うタイミングが似ているのか、よくバッティングしたが、順番がどうこうと言うのは面倒なので一緒にご飯を炊くこともあった。

さて、タカシさんがたまに我々の部屋に泊まりに来た。
彼はフィリップがたまに彼女を連れてくることに閉口していたのだ。
はっきり言って泊まりに来られても困るのだ。なんせこちらは6畳に3人ゆえ、空きスペースは体一つ分しかない。そのスペースは通路という重要な役割を果たしているので、そこにタカシさんが寝ることになる。

タカシさんが寝ていると、それを知らずに真っ暗な部屋に入ってきたチャーリーは思いっきりタカシさんを踏みつけ、そして転倒する。そんな中でもタカシさんは何も無かったように寝続けるのだ。

そして夜が更けた頃、爆音が響き始める。
部屋を追い出されたタカシさんの気持ちもよく分かる。
フィリップの気持ちもよく分かる。

後々知ったことだが、フィリップは睡眠不足が続くと彼女が来ない日でも
「今日は彼女が来るから・・・・・」
とタカシさんに伝えていたこともあったという。

ひとりグッスリと眠るために。


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2006/05/16

外人ハウス暮らし26:同居人Fromリバプール

4人部屋から3人部屋に昇格した僕であったが、ひとつ欠点があった。
今までの部屋は台所の前だったため、食器(というかコッヘル・・)を持っていくのが苦にならなかった。
しかし、3階からは毎度毎度持ってこなければならなかった。
そのまま置いておく事も考えたが、そうすると「共有」になってしまう。これは避けたい。

しかし、3人部屋は気楽だ。何と言っても一緒に住んでいる人が固定されているという安心感がある。ドミトリーだとそのメンツは日替わり。

出会って十数分後に一緒の部屋に住むことになったイギリス人のチャーリーは、リバプール出身でおそらく年齢的には30前後だろう。
ちょっと赤毛が混じったアングロサクソンで、イギリス人らしくカリマーのバックパックを背負ってやって来た。
トルコ、イラン、パキスタン、インド、タイと旅をしてきて、香港滞在中に
「日本に行けば英会話講師の職がある」
との情報を手に入れ、3ヶ月オープンの航空券でやって来た。
観光ピザでの入国の最低条件である3ヶ月後のチケットを持ってはいるものの、仕事が見つかってしまえば捨ててしまえ、という考えだ。
僕に
「どうやったら英会話の講師になれるのか」
と聞いてくるので
「夜ロビーで、英語講師になりたい!と3回叫べば見つかるよ」
と答えておいた。
実はこの冗談のような回答、それほど間違えではない。
ビートルハウスには何人もの英会話講師、または英会話講師の振りをした旅人がいる。どこの英会話学校も人手不足らしく、常に学校から「誰か友達を連れてこい」と言われているらしい。
(注意:そんな学校ばかりではありません。ご承知ください。)
翌日、僕が帰ってくるとチャーリーは
「ありがとう。明日から働くことになった。」
と礼を言ってきた。

欧米系で英語を話す白人は、やはり職が見つかるらしい。


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2006/05/04

外人ハウス暮らし25:引っ越し??

荷物を持って僕は階段を登る。
そして3階の2番目の個室へ荷物を放りこんだ。

引越しといってもどこか違う場所に住むわけではなく、部屋を替わったのだ。
ドミトリー暮らしはもともと安さにつられて行ったのであるが、さらに安く住む方法を発見した。

ビートルハウスの2階部分以上には、個室がずらりと並んでいる。
この個室は「ひとりで住む」場合と二人以上で住む場合とパターンがあるのだ。
標準的な六畳の個室に一人で住む場合は5万円、2人だと6万円、3人だと7万円と決まっていた。そう、これを割り勘すれば4人ドミトリーよりも安く住むことができるのだ。
ちょうど空き部屋ができたとき、4人ドミトリーに住み着き始めた関西人のヤマモトさんと話をし、2人で個室に移ろうと考えた。
しかし、2人で住めば6万円割る2で1人3万円。これではドミトリーと同じ金額なので意味がない。よってもうひとり探そうということになった。

もうひとり集めれば7万円を3分割し、一人2万3千円ほどになる。これは安い。自炊している僕にとって、差額の7千円はまさに「生活を支える」金になる。

そんなことを話していると、ドミトリーのドアが空いた。
今日日本に到着し、成田から直接ビートルハウスにやってきたイギリス人、チャーリーとの出会いであった。
チャーリーは日本に到着して2時間後に、いきなり同居の話を切り出されて面食らっていたが、しばらく考えた後、
「少しでも安いほうがいいからね」
と首を縦に振った。

6畳の部屋に3人がどのようにして住むのか。
この部屋には2段ベットがひとつ、そして窓際にマットレスが一枚ひいてある。
これで一応3人分の「寝床」ができた。
そして、ベットの下に衣装ケースが3個。これがわれわれのロッカー代わりだ。
これで部屋は満杯。しかし、これにヤマモトさんがラジカセとテレビデオを持ち込んだので、完全にスペースがなくなった。
よって、ドミトリー暮らしから脱出しても我々は結局ロビーに居続けることになった。

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2006/04/27

外人ハウス暮らし24:ドミトリーを出る

ビートルハウスのドミトリーを出る時が来た。
狭いけどなかなか楽しかったドミトリー生活。
夜中に突然大きなリュックを背負って現れる旅行者、そして24時間もしないうちに出て行く旅行者を見ているだけで、僕は何だか旅をしている気分になった。
電話がウルサイ。ドアの前の台所がウルサイ。国道がウルサイ。不平不満はいろいろあるが、やはり・・・・不平不満だらけのドミトリーともこれでお別れだ。

一番最初に住み始めた時のメンバーはもういない。オリジナルメンバーは最初の3日だけだった。

一期一会

ドミトリー生活はまさにこの言葉の通り、出会いと別れ、人間模様の交差点であったといえよう。

荷物をまとめる。
ドミトリー生活なのに、知らず知らずのうちに荷物は増えており八百屋から貰ってきた段ボールが2つ一杯になった。
まぁ中身はみんな本であるけれども。
ドミトリー生活者にカギはない。
荷物を手に出て行くだけである。

さらば、ドミトリー!

(終わりじゃないよ)


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2006/04/08

外人ハウス暮らし23:西郷どんと路上画家

マモルとは学生時代からよく遊んだ中だ。
都内で働く彼は自分では敢えてどこにも行かないくせに、誰かにどこかに連れ出されるのが大好きという困ったヤツだ。
反対に僕は暇さえあれば、いやなくてもあちこちをフラフラしていたので、たまに彼を誘ってやった。
たまにマモルの方から誘ってくる事もあるが、大体そういうときは超メジャー修学旅行コースであることが多い。

「おい、西郷さんの銅像ってどこにあるんだ?」

その日も彼はそう誘ってきたので出かけることにした。
お互い田舎者だから、こういう所へ行きたいのだ。

西郷像のある上野公園までは電車で出かけた。出不精のマモルは山手線自体あまり乗ることがなく、
「これってどこ行き?」
などととぼけた事を真顔で、それも大きな声で僕に聞いてくる。それも車内で。

上野に着き、京成横の階段を登って上野公園へ向かう。

イラン人の集団がなぜか階段で食事をしていたり、絵描きがキャンバスを拡げ似顔絵などを描いている異空間に、マモルはちょっとビビッていたようだ。
その時、ボサボサの長髪で髭面の外人が声を掛けてきた。

なんだ、アルフレッドじゃないか。

彼はオランダからやってきた旅人で、絵が趣味・・・というより売れない画家らしく、大きなリュックに油絵道具を詰め込み数日前から同じドミトリーに住んでいる。初めて見たときは「岬君の父親」かと思った。
階段を利用して彼の作品が何点か飾ってある。
似顔絵ばかりなのだが、どちらかというとコミック調に描く画風のようで、嫌みが無い。なかなか良い作品だ。

いつも朝早く荷物を抱えて出て行くので何処に行っているのかと思っていたら、上野公園に来ていたのだ。
なぜこの公園なのかというと、
「成田から京成でやって来て電車を降りたら絵描きがたくさん居た」
という事らしい。確かに間違いはない。実にシンプルな発想だ。

僕等の目的は西郷どんなので、またな、とその場を離れた。

あれ、マモルの口が開いている。
「彼は知り合い?」
と聞いてくるので
「あぁ、同じ部屋に住んでる」
と言うと、ちょっと声を大きくこう言った。

「おまえは一体どんな所に住んでいるんだ???」

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2006/04/03

外人ハウス暮らし22:道端のアクセサリー売り

友人のマモルと池袋の街を歩いていたら、後ろから声がした。
振り返ると、道端でアクセサリーを売っているイスラエル人が僕の方に手を振っている。
ドレッドロックヘアに鼻ピアス・・・。

なんだ、アヤじゃないか。

アヤとは日本人のような名前であるが、イスラエル人にも多い女性の名前だ。(とフランス人が言っていた)

彼女もビートルハウスの住人である。世界一周旅行の途中で、観光ビザで滞在できる3ヶ月間を東京で過ごし、アクセサリーなどを売って旅費を稼いでいる。

バックパッカーの世界では、イスラエル人が結構多い。彼等は兵役の後、退役金と休暇を使い世界中を旅しているのだ。
国民は男女の区別なく兵役が義務付けられているため、アヤのような女性も多くいる。
あまり詳しくは知らないが、日本には彼等のような旅行者にアクセサリー類を卸し、時には商売道具一式を貸し出すような「元締め」がいるらしく、池袋をはじめ東京の繁華街で営業をしている外国人のアクセサリー売りのほとんどがイスラエル人だ。

僕はマモルに
「彼女へのお土産に、一個どうだ?」
と言い横を見ると、彼はポカンと口を開けているではないか。

「あ、あぁ、いらんいらん」

アヤのパートナーであるパトリックも近くで商売をしていたらしく、こっちに寄ってきた。
三人で立ち話をし、それじゃ、と別れた。

「あれ、誰?」
とマモルが不思議そうに質問してきた。
「あぁ、一緒の所に住んでいる奴らだよ」
と僕が返答すると、なんだか混乱してきたらしい。

ちょっと声を大きくこう言った。

「おまえは一体どんな所に住んでいるんだ???」

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